25年にわたる教師という仕事を辞めた時,
よく言われたのが
「もったいない。」とか
「あと少し頑張れば良かったのに。」とか
「後悔してるでしょう。」と、
言われました。主に教師でない方々からでした。
直接的な理由は,親の介護やタイミングの悪い異動がきっかけでしたが,結構私は気持ちスッキリ,せいせいしていました。
後悔はその当時も今もありません。
私が教職についた頃と比べて,学校のありようは,
だいぶ変化していきました。
新採の頃私は,学校現場が公務員という縛りの中で意外にも自由度の高い職場であること。
教室という一つの部署を自由に運営でき,
自分を生かして子どもと向き合える
良い仕事についたなと。
そう思っていました。
そこでは,常に子どもを中心に据えて,学校全体が運営されていました。
子どもの発達にねらいを定め,行事でも教科でもどう実施すれば子どもの発達に一番有効かということを大切にしてきたと思います。
教材を作り出したり,
指導法を練り上げることは,多くの教師にとって大変でも喜びだった時代です。
今もそういう側面はあります。
けれど,何かしら大人の事情が介入するようになってきました。
危機管理という名の下に制限されることも多くなりました。
実際の業務とはかけ離れた報告に続く報告で,
文書作成だけですっかり消耗してしまうようになりました。
紋切り型に規定日数以上の休みの子に対するレポート,読書調査,給食調査,ここはお役所仕事かという報告書類にため息が出る思いでした。
教材研究や子ども,保護者とのやりとりはどんどん少なくなっていきました。
今,児童英語だけを照準にあて,集中して取り組めるので,気持ち非常に楽になっています。
指導のスタイルを確立していくことは,新しいアイディアと実践を必要とするのでそれなりに大変ですが,その中でも子どもたちとの心の交流ができることを嬉しく思っています。保護者とも思いをやりとりでき,経済的な安定は前職とは比べ物になりませんが,それがなんだというのでしょうか。
元々,情熱が先行して,やりすぎる傾向のある私です。私の熱意が先走りして,周りがついていけないと言われることもあり,今はペース配分を考えていますが,
今までの実践や考え方を再構築し直して,新しい指導法を生み出していく過程は教員時代も今も同じです。
そして,前職を辞めた今,そういう時間がさらに確保されるようになったと感じています。
煩雑な事務処理を今の先生方は本当によくこなしていると思います。真面目な先生方ほど悩んでいると思います。私にできることで,何かフォローできないのかなと今考えています。

