意外と周知されていないことがあります。
教師という仕事は,学童期の我が子の学校行事などに参加することができません。
それは我が子の入学式であり,卒業式であり,
授業参観に始まりPTA関係。
運動会もそうです。
厳密に言えば、入学式時1年生の担任でなければ
卒業式であれば6年生の担任でなければ
式典の時間をやりくりしながら参加することは可能です。
でも私の場合2人とも入学式に参加することはありませんでした。
特別支援関係のお子さんが入学しその介助のため,娘の入学式には参加しませんでした。
この時は,校務分掌の話し合いの時から校長に食い下がった記憶があります。が,最終的に子どもたちの介助は専門である自分がすべきと自分自身で判断しました。
娘に参加できないことを告げると
「大丈夫だよママ。でも〇〇(息子の名前)の入学式には行ってあげてね。」と。
その娘の言葉を聞いて,娘の入学式にも参加しなかったのだから息子の入学式にも参加できないとその時点で決めました。
同市町村であれば,運動会の日程はほぼ同じなため,運動会にも参加することはできませんでした。せめてできることはしたいとお重のお弁当は毎年準備していました。
運動会の昼休みになると,許可をもらいすぐ我が子の学校へ駆けつけるのです。
職員専用の駐車場に他の車が停まっており,自分の車を出すことができなかったことも。大急ぎでタクシーを呼び,我が子の学校へ駆けつけたこともありました。タクシーを待たせて5分ほど食事に付き合い,とんぼ返りで午後の部に間に合うように帰る,そんなことも懐かしく思い出します。
集中豪雨や台風時,または非常時,子どもたちを集団下校させることもあります。
親御さんたちのお迎えをチェックしながら安全に引き渡し,最後は自分の足で近隣を見て周り,最後の一人が下校できたかどうかを確認すること。
全員が確実に親元へ帰ることができたことを確認してから,我が子の迎えに向かいます。娘自身が最後の一人になり,保健室でぽつりと待っていた姿を今でも思い出します。
教師という仕事は,ある種殉職も覚悟しなければならない職業だと考えます。
そして今も同じ気持ちで子どもたちと接しています。
何かあれば,自分の身を呈して子ども達の前に立たなければならないわけです。そして母親がそういう仕事をしていることを子どもたちも肌で感じていたと思います。
地方ではPTAの会合が夜になることも珍しくありませんでした。
急いで食事を済ませた後,子連れで参加していました。
後ろの方に絵本やおもちゃを持たせて、会の終わるのを待たせました。
「子どもたちがかわいそうやがな。」と言われることもありました。
そうでしょうか?
母親のことが大好きな子どもたちを,家で寂しく待たせることの方がかわいそうだと。そしてこういう日々が思いのほか楽しい思い出を作っていてくれたと思います。
思えば,特別支援学級の担任をしていたときも,親御さん同士の家族キャンプに我が子も参加させていました。学校行事を離れて重度の知的障害を持つお子さんとの事前宿泊学習練習も我が子も一緒に寝泊まりさせました。とても良い体験をさせていただいたと。今でも感謝しています。
私が辞めた時,これで卒業式もPTAも思う存分参加できると大いに張り切っていた私に比べ,子どもたちは拍子抜けするほど落ち着いていたと記憶しています。
聞くと「ママがあんなに好きだった仕事なのに。」と。
「これから夜や休みの日にママの学校に行くことはないのが寂しい。」と答えが返ってきました。
子どもは子どもなりに,教師である母親との生活をそれなりに楽しんでいたのだなと。教師として関わった子どもたちと我が子たちの日々は,今も私の仕事を精神的に支えてくれています。

