お盆ですので,教師としての父のことを話してみたいと思います。
父と私は同じ教職員でしたが,
教師としての父を振り返る時,3点ほど印象に残っていることがあります。
一つ目は,最後の赴任地土川小の風景。
校長として任期を終えた父でしたが,
教える立場から離れても子ども好きは変わらず。
あるとき土川の行事に私も参加したことがありました。
広い公民館で父をキョロキョロと探しましたが,見つからなくて。。。
やっと見つけた膝に一年生を乗せて嬉しそうにしている人。それが父でした,
亡くなったことを知らずに,今でも時折連絡が来るのですが,びっくりするのは担任時代だけでなく,管理職になってからの父を慕って,当時子どもだった方々からお便りをいただくことです。退職してからも家にある書籍を開放して子どもたちを呼びたいと言って,母に大反対された父。苦学生の頃も帰省の折には歳の離れた妹に欠かさず本を買って帰るなど,優しい父でした。

二つ目は,父が私に語った言葉。管理職は時に嫌われるようなことも言いながら、全体を束ねていく必要があるのですが,「今度の教育論文は全員率先して出してくれたんだ,ありがたいな。」と言ったことがありました。おそらく父のことなので,確かに強制で書かせることはなかっただろうと思います。半ば強制的に提出させられるこの論文が私は嫌いでして,自分の実践が形になるだけの資料ができた時だけ出していました。それを全員が率先して提出したことが,ちょっと信じられない気がしたものです。
三つ目は,私が勤務していた名山小に学校視察で父の元同僚がいらっしゃった時のこと。
「こんな(父)管理職に会ったことはなかった。」と、言われたこと。お世辞もあったのでしょうが,目の前で褒められ,くすぐったいと同時に間接的に父の仕事ぶりを改めて確認できたようで嬉しかったです。
多くの管理職,教職員の中で父は本当に目立たない,小さな存在でした。ただ私自身,素晴らしいなと思える先生方は,無名であり,出世も望まず,ただただ子どものために,日々向き合う方ばかりだったと改めて思うのです。
ずっと慕われ続け,亡くなってからも連絡をくださる教え子の方々を見るにつけ,私,亡くなって悲しんでくれる教え子がいるのかな,いつまでも慕ってくれるそんな存在になれているのかなと。名もない存在のまま,子どものために生きられたらそれが一番の幸せだろうと今更ながら思います。

