今日から私もお盆休みに入りました。
たまには,多読音読から離れて,
指導する立場として思うことを書いてみたいと思います。
去年の今頃,私は鹿屋のレッスンを整理しました。
60名ほどの子どもたちがいました。
長く教員をしてきた私にとって,
子どもと共に学ぶことは何にも変えられない大切なことで本当に辛かったです。
去年は父を亡くした後も,さまざまなことが私に起こりました。
まるで頭を出そうとすると,叩かれるモグラ叩きのように辛いことがてんこ盛りで起こる…
鹿屋ではグループレッスンから個人レッスンまで1日で詰め込むため,13時間ほど子どもに教え,帰宅は深夜12時を回るのです。
いろんなことがあり,不吉な予感を抱えて車を走らせることが続き,月1とはいえメンタルもボロボロでした。
実は父を亡くす前から,さまざまなことが起こりうる歳になったと感じ,自分なりに少しずつ準備をしていたつもりでした。
レッスンのお手伝いをお願いし,時給もお支払いしながらレッスンの様子も見ていただいていました。
そんなこんなでレッスンをやめるにあたり,心当たりにお願いしましたが,ダメでした。
自分のレッスンだと経済的な安定も感じられなかったことでしょう。
今後,引き継いでレッスン生を同じように教えていけるかどうかという問題もあったかもしれません。
気持ちはとてもわかります。
ただ,自分が同じような状況立場であったら,期間を限定してでも引き受けたような気がします。
それは,直に頼まれたからとか,教える自信があるかないか,そんな問題から離れたところにあって。
ただ一つ
いきなりレッスンのなくなる子どもたちの気持ちがわかるからです。
鹿屋の子どもたちには,今も申し訳ない気持ちでいっぱいです。
私を慕って毎回レッスンに通ってきてくれた子どもたち。
今,数名の方とレッスンの進め方を
できるだけ汎用性のあるものに仕上げていこうと進めている最中です。
ノウハウや児童心理など,教えるベースを作っていくことも大事です。
でも,一番大切なのは,
子どもや保護者に寄り添い,共感できる力だと思っています。
スキルは後からついてくるのです。
子どもが保護者が私たちを先生にしてくれるのです。
その気持ちは忘れないようにしたいなと思います。

