我が子が生まれる前後から一時期の間、シュタイナー教育にはまっていた時期があります。
シュタイナーは、知的な経路を通じた学習は教育の一部にしか過ぎないとし、感情や意思に働きかけるような豊かな教育芸術を提唱しています。
日本ではそのノウハウが強調されがちな側面はありますが、私も大いに影響を受けまして、早期教育をできるだけ避け、自然の素朴さや温かさへの親子での共感や体験を大切にしてきたつもりです。(今やっていることは若干その流れに逆らうものかもしれません)
テレビや勉強より、手足をたくさん動かす体験。
一人一人の個性を尊重し、個人の能力を最大限に引き出す。
手仕事に没頭する時間を大切にする
美しいものを美しいと魂で味わう。
究極的には自由な生き方ができる人間を育てる。
教えるという仕事を生業としてきたため、若干理念から外れる部分もありましたが、基本的には子どもを尊重し、美しいものをそのまま味わい、自由な表現をさせることは常に頭の中にありました。
そのスタートは田上小での教育実習でした。
実習担任だったT先生は、音楽が専門ではないにもかかわらず音楽の指導者としては県下でも有名な先生でした。
その先生の手にかかると、子どもたちの歌がまるで魔法を掛けられたかのように変わるのです。頭声的発声をノウハウやスキルからではなく、歌詞や情景から体感した美しさを表現することで,子どもたちが見事に頭声的発声に変化していきました。
私が評価授業をするとき、何枚も何枚も黒板を覆い尽くすほどの大きなイメージ画を描かされました。「下手でもいい、先生の受けたイメージを子どもに伝えることが大事だと。」
絵心がなく何方かと言えば苦手だった絵を、今までの人生で一番時間をかけて描いたことを思い出します。
そしてその情景について子どもたちと素直に感じたことを出し合い、歌詞を表情をつけて読むことで歌は大きく変わりました。音楽科で分析的に曲を演奏したり聴いたりしてきた私にとってそれは大きな驚きでした。
今学校現場では、音楽も図工も字数が削られ、十分な活動ができなくなっていると感じます。図工も材料調達の手間を省くため、キット購入で済ませることが多くなりました。
子どもたちの創意が一番発揮される工作が画一的な仕上がりになってしまいます。
子どもは特に情感や情緒という器を大きくしていく必要があります。器が小さいとその後知的な学習を受け止める容量が小さくなってしまいます。
美しいものを美しいと感じ、自分の周りの神秘や美を追求しようとするところに学問は生まれるからです。

