健全な欲求

歳とともに、物欲というか欲しいものは少なくなってきています。
これから先たくさんのものを持っていても、なにかあれば残された者が大変だということを身をもって知るようになってきたからかもしれません。今手にしたものと、これからどのくらいの時間付き合えるのかという気持ちになるからかもしれません。

服もうちそと区別なく着るようになり、ごく気に入ったものを衣装ケースに2つ分ぐらいしか持っていませんし、本もあらかた整理してしまいました。残りの人生をできるだけ身軽に生きたいと考えています。

けれど最近、それとは真逆の考えになりますが、子どもを含めてこれからの未来を生きる人にとって、物欲も含めた健全な欲求というのは大事だなと思うようになりました。
欲望があるというのは行き過ぎれば病的ですが、適度な欲というのは生きるエネルギーの証であるように思います。

例えば、うつを患うと、何も欲しくなくなります。食欲もわかない、服もなんでもよく、欲しいものがなくなってしまう。行きたい場所もなければやりたいこともない、お風呂も入りたくない、その場その瞬間をただただやり過ごす毎日になってしまいます。

不登校のお子さんが増えてきていて、私も数名と関わらせていただいていますが、自分の意思を伴う積極的な不登校はまだ良いのではないかなと。

生きる欲求を失った状態が一番手強く、やりたいこと、行きたいところ、食べたいもの、欲しいものを見出してくれるまでの時間が本当の大変さなのだと思います。

そして、一つ心配なことがあるとすれば、積極的な不登校も病的な不登校へと変化する可能性があるということ。

そうならないためにも、
好きなことを見つけ没頭する大切さや、今この時間をその子の欲求に合わせて十分に味わわせることが大事だと思うのです。
子どもの将来を考えて、子どものやりたいことを置き去りにした毎日は、その歪みが後になって戻ってきます。

子どもの欲求や、子どもの今の時間を充実させる大人でありたいと遅ればせながら思っています。

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