父が亡くなった年、新しく出たばかりのタブレットを父に買いました。
数年前からタブレットを使っていましたが、アクセシビリティの機能が充実していて、使い勝手が良いだろうと古いものと交換して、私が古いほうを使っていました。
10月末に入院した時も父は、
母にぶつぶつ言われずに好きなだけタブレットが使えると嬉しそうでした。
親指一つでロック解除できる
モバイルWi-Fiを持っていたので緊急時は連絡もできるし、
読み上げ機能も拡大鏡も父にとっては良さげでした。
が、そのアクセシビリティはほぼ使うことはありませんでした。
まずホームボタンを押すということができなくなります。
同時に画面をスクロールしたり、押したりすることもできなくなりました。
ピンポイントで押すということが困難だったからです。
可動範囲というか反応範囲がもう少し広ければ、苦なくアクセスできるのにと思いました。
音声もなかなか認識してくれませんでした。
極め付けは、入院が長引き見当識障害を起こしてしまって、いつ充電すればいいのか、いつ充電したのかがわからなくなってしまったことです。
朝病室に行くとブラックアウトしたタブレットを前に途方に暮れている父がいました。
元気な時はあんなに使いこなせていたのに。
モバイルWi-Fiも同じでつけっぱなしにして容量だけくってしまい、使えなくなってしまいました。
アクセシビリティは認知にあまり問題のない、一部の障害に対して効果があるのであり、高齢者や認知症患者にはあまり意味のないものなのだとその時思いました。
こんなことなら元気なうちに欲しがっていたスマホやウェアラブル端末を持たせれば良かったのにと思います。
元気なうちだったら、好きな趣味の範囲で嬉々として使いこなしたでしょう。
直のやりとりや手を握って伝えることより効果的な方法は他にはないですね。
メッセージでのやりとりが唯一、私が付き添えない間のコミュニケーションを補完してくれたと感じています。



